ユテーリ:山脈マップナンバー1

海上の船が天空のポイントや遠方の岸を指標に進むように、サイクリストもよく知っているロードや慣れない領域で同じ方法を取ります。地平線に見える丘、ターン位置の目印となる家、下に広がる海が指標となるのです。

ニースのバックカントリー走行中の標点の1つに、ユテーリの礼拝堂があります。レステロン渓谷とティネ峡谷の合流点であるヴァール谷の切り立った岬、ヴァイル山頂にあるアンテナの隣に位置しています。

スペインの船員による頼りになる指標です。

千年以上前のある夜、船員は地中海でひどい嵐に巻き込まれました。生死をさまよう状況の中、もし生き延びることができたら聖母マリアのために礼拝堂を建てることを約束しました。すぐに彼らの祈りは届き、空に神が現れ、眩いばかりの聖なる光が山を照らしました。空と海に静けさが戻り、スペイン人船員は救われたのです。

聖母が選んだ山に彼らが建てた指標は、ローマ時代以前から存在していたユテーリ上にある最初の聖地起源であり、海岸から現在のイタリア国境へ向かう道のりの最初の重要な停留地点となりました。

地元の人々によると、聖地周辺の石の中には星型の化石が含まれているそうです。

これは山に聖なる存在があるという証拠だと考える人もいます。科学者は、1億4000万年前には現在の地表は海面下にあり、地球の地殻変動に伴い山脈が形成される際に、海洋生物が押し上げられたと分析しています。

標高1140mにある聖地はヴァール渓谷にかけて広がり、海岸からアルプ=マリティーム、北から西の一帯、ヴァンスとグラースまで続く360度のパノラマ風景を一望することができます。ユテールの村下方に続くロードは急勾配ですが、ヴェスビー川を下りサン・ジャン・ラリビエールから登る14.4kmの通常レベルのクライムです。

1800年の地元のニース(この時点で400年にわたりフランスではなくサヴォイア家とイタリアへの忠誠を誓っていた)とフランス、スペインの勢力間争いの最中にフランスがユテールを支配しました。聖地は廃墟となりました。ユテールの人々は聖地再建を求めて請願を始め、1806年にはマドン修復されました。建築材料と労働力は、渓谷下の川から傾斜面を上がって遥々運ばれました。

村の上でロードが分かれ、ティネ峡谷へ向けてトンネルが続きます。今では細くなってしまった聖地への登り道は、涼しい森の中を通ります。かつての労働者とラバの休息の地であったでしょう。

最後の数キロになると、道が開け周辺の山々が姿を現し、胸が踊るような気持ちが広がります。その後いくつかのスイッチバックが続き、進行は横ばいになります。

ここは長い間巡礼者と癒しのための場所でしたが、Joe Dombrowskiを含む地元のサイクリスト達が愛してやまない秘密の場所でもありました。2016年3月にパリ〜ニース間の最後から2番目のステージが山頂をフィニッシュ地点となり、聖地から素晴らしい眺めを多くの人々と分かち合うこととなりました。

私達が走行しクライムするコースを山脈マップシリーズ でお読み頂 ニースを訪れ実際に体験してみてください。

写真: Greg Annandale
本文: Max Leonard

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