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ステルヴィオ峠:世界の山々#5

ある写真家が以前言ったことがあるが、美しいとは言い難い場所です。彼は山に住み、山で仕事をし、山でバイク走行をし、山を知り尽くしています。

彼の言葉は的を得ています。ステルヴィオ峠は電線やメタル構造が多くあり、美しい音というよりバイクや車の音で溢れています。インターネットで調べても分からない部分があるのです。

ステルヴィオ峠:世界の山々#5
ステルヴィオ峠:世界の山々#5

プロであってもアマチュアであっても、厳しいクライムだと言うでしょう。ヨーロッパで3つ目に高い峠であり、全長22キロ、平均勾配7.1%。努力なしには登れないと言っても過言ではありません。

青銅器時代から人間がここを通り、毎年人々が訪れています。有名なスイッチバックが目的でもありますが、背景のストーリーも魅力です。

サイクリングが世界中で楽しまれるようになってから、ステルヴィオ峠はスポーツの歴史に名前を刻んでいます。ジロの最も高地のチーマコッピ(最も高い標高の峠に捧げられる賞)を初めて得た峠でもあります。


ステルヴィオ峠:世界の山々#5

ボルミオからは様々なクライムが続きます。低地のスロープは比較的なだらかで、木々や茂みを通り抜け、Theaの複数トンネルを走り、35個のスイッチバックも比較的ゆったりと走行できます。

トンネルから出ると、ボルミオ側のクライムでは最も美しいスイッチバックの中心部に出ます。水力発電所へと向かって登るとヘアピンカーブが続きます。

「醜い」と評される山頂には、素晴らしい魅力があるのです。


ステルヴィオ峠:世界の山々#5

スイッチバックを通過後、川に沿って渓谷を登ります。美しい景色ですが日陰がなく、かなり厳しい走行となります。渓谷を抜けて旧税関で右へ曲がり、左手200メートル先にはスイス国境があります。ここから高原での走行が始まります。

この地点が「醜い」と言われる場所です。岩が多く、カーブは多少中途半端で楽しみに欠け、現代的で退屈してしまうような走行です。電線が多くあり、スチール構造が張り巡らされています。山頂にはエンジンで到着した人々もいます。


ステルヴィオ峠:世界の山々#5

他の訪問者にはサイクリングのストーリーや高揚した気分は感じられないかもしれません。

気象学は非常に大切な役割を果たしています。Fausto Coppiが名前をジロの歴史に刻んだ日の前日には、やっと雪が溶けたばかりでした。1953年のジロでIl Campionissimoが一人で雪の壁を走り抜ける様子は、忘れられることはないでしょう。山の最初のルートは、チーマコッピ賞に刻み込まれています。


ステルヴィオ峠:世界の山々#5

ジロの最も高地点は複雑な面もあります。ステルヴィオは悪天候による変更やキャンセルが多くあり、1953年に開始して以来たった12回しか開催されていないのです。

5月末から6月初頭にチャンスが訪れ、9月から10月に再び閉鎖されます。雪が取り除かれ、ダークで滑らかなロードが露出すると期待が大きく膨らみます。


ステルヴィオ峠:世界の山々#5

ステルヴィオ峠はクライムだけではありません。登りと同様に厳しい降下が待ち受けており、レースの要となっています。Bernard Hinault とJean-René Bernaudeauは、ボルミオ側でのシングルトラックでは安全性よりもマリア・ローザを目指した勝利を優先しました。

4年ほど前まで、降下と天候が大混乱を極め、悪名高いレースラジオコミュニケーションが降下レースを無効化することなく管理を試みました。Nairo Quintanaを含むライダー3名は、山頂での指示を知ることなくTrafoiスイッチバックを降下しました。多くのライダーはレース無効化されたと信じ、走行を停止し暖かいレイヤーで身体を温めていました。


ステルヴィオ峠:世界の山々#5

山頂で停止するかしないかは好みの問題です。機能的なホテルやキオスクがあり、ファーストフード店ではソーセージが売られています。

上を見上げるとThe Refugio Garibaldiが見えます。第一次世界大戦で破壊されたスイスホテル跡隣に1960年代頃建てられた、山の文化を讃える存在です。モーターバイクライダーからスポーツカー愛好者、マウンテンバイクライダーや写真家が訪れています。

峠自体は美しくないかもしれませんが、下に広がる魅力的な道のりを通ってたどり着くものです。


世界中のアイコニックなクライム走行は、世界の山々シリーズでお読み頂けます。




写真:Matt Wragg